2017年6月18日「飢えかわく者」


2017年6月18日主日礼拝



聖書
マタイによる福音書第5章1~16節



マタイによる福音書第5章6節
『義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、
彼らは飽き足りるようになるであろう。』



崔牧師メッセージ



「私たちは、いつの間にか満腹していないでしょうか?


もうこれでじゅうぶん恵みを受けたからと。


イエス様は、『求める者は与えられる』と言われました。


私たちは、たった一瞬でもイエス様がおられなければ生きられません。


『あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選んだ』と、イエス様が言われました。


皆さんが今ここに集っているのは、偶然でもたまたまでもなく、イエス様が呼んでくださったからです。


当たり前は何一つありません。


今の時代、日本も韓国も、あまりにも飽き足りていて、ハングリー精神というものがないのではないでしょうか?


私は最近、義について考えさせられます。


私たちは罪人ですから、義はありません。


御子イエス・キリストだけが父なる神様の義であり、御心です。


その方によらなければ、私たちは霊的に死んだ者です。


にもかかわらず、私たちはあまりにも高ぶっています。


イエス様からの恵みは、もうこれで終わり、ということがありません。


聖書の御言を読むことも、同じ箇所を読んでも、日々受ける感動が違います。


まことに私たちの霊魂を満たしてくださる方は、イエス様です。


私たちは、お金がないから、あるいは目に見える何がないから、滅びるのではありません。


まことの救い主であるイエス・キリストの御名が霊魂の中にないから、滅びます。


御子ご自身も、勝手に来たのではありません。


つかわしてくださった父なる神様によって、御心に従って来られました。


御子がからだを持ってこの地に来られた第一の目的は、父の御心に従うためでありましたが、私たちを罪から救ってくださるために父なる神様からつかわされて来られました。


そのことを知れば知るほど、私たちはイエス様にますます求めるべきではないでしょうか?


自分の足りなさが分かる者がイエス様に求めますから、心の貧しい者はさいわいであると、言われました。


私たちはこの世のものによってではなく、イエス様の恵みによって、更に更に飽き足りた者になるべきです。


皆さん、求めましょう。


ただただ自分の肉の欲のためでなければ、求める者には必ずイエス様が与えてくださいます。


皆さんの霊魂がいつもイエス様の御言に導かれ、聖霊に満たされ、あふれ出る水のごとく受けた恵みを注ぎ出していく、そのようなこれからの信仰の歩みとなりますように、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします✨」



アーメン✨


メッセージ要約   Satoko.M