2017年4月2日主日礼拝
先週の木曜日から、韓国のネヴィアス宣教教会のイム牧師先生と、クォン伝道師先生が北九州に来られていました。
2017年4月2日の主日礼拝は、イム牧師先生が、ゲツセマネの祈りの箇所のメッセージを語ってくださいました。
マタイによる福音書第26章39~42節
「そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、『わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい』。それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、『あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。
誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである』。 また二度目に行って、祈って言われた、『わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように』。」
イム牧師メッセージ
「御子イエス・キリストが父なる神様からつかわされて、この地にくだってこられたのは、もちろん悪魔のしわざを滅ぼしてしまうためでありますが、私たち人間に、『神様に仕えるとはどういうことか』を教えてくださるためでありました。
天使と人間は、共に神様の被造物です。
天使は神様に仕えるために造られた存在でしたが、その中の一人が、仕える者としての立場を乗り越えて、堕落してしまいました。
堕落した天使はサタンとなり、この地上でも人間を惑わして、自分がしたのと同じように堕落させました。
天使も人間も、共に神様に仕えるために造られましたが、果たして、どのように神様に仕えたらよいのかを、はっきりと教えてくださったことはありませんでした。
御子イエス・キリストが体をもって、この地にくだってこられて、その公生涯の中で、そして最後に十字架につけられる前の、ゲツセマネの祈りにおいて、その御姿を見せてくださいました。
イエス様が、『杯を過ぎ去らせてください』と、父に願われたのは、十字架を背負いたくないからではありません。
イエス様が体をもって来られたのは、死ぬためです。
それなのに、父にこのように祈られたのは、なぜでしょうか?
それは私たち人間に、
『神様に仕えることは、何よりも父の御心に従うことである』と、示されるためです。
御子には御子自身の御心、願いがありましたが、でも御子の一番の願いは、父の御心に従うことであり、そのことを私たち人間に示されました。
イエス様は苦しみながらではなく、父の御心に従う喜びに満ちあふれて、十字架を背負われました。
『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』と言われたのは、父なる神への、御子の喜びに満ちた叫びでした。
ですから、最後まで父なる神に従順された御子にならう者となることが、私たちが神に仕えることです。
父なる神は罪のない方を、われわれ人間の罪のためにつかわしてくださり、与えてくださいました。
このような神の愛が分かったのであれば、私たちは、自分が受けた恵みを他の方々に分け与えずにはいられないでしょう。
私は30年前に、シンガポールでたった20秒間会った日本の女性に感動を受けて、いつか日本につかわされていきたいと願っていました。
それが30年たった今、イエス様が願いをかなえてくださって、今回来ることができて感謝です。
私は教えることは上手ですが(笑)、メッセージはあまり上手ではありません。
本当はクォン伝道師にメッセージを語っていただきたかったのですが、神様の導きで、私が語らせていただくことになり、皆さん最後まで聞いてくださって感謝いたします✨」
アーメン✨
メッセージ要約 Satoko.M


