2017年3月12日の主日礼拝
聖書
マタイによる福音書第6章14 ,15節
コリント人への第二の手紙第2章10 ,11節
マタイによる福音書第6章14 ,15節
『もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。』
コリント人への第二の手紙第2章10 ,11節
『
もしあなたがたが、何かのことについて人をゆるすなら、わたしもまたゆるそう。そして、もしわたしが何かのことでゆるしたとすれば、それは、あなたがたのためにキリストのみまえでゆるしたのである。そうするのは、サタンに欺かれることのないためである。わたしたちは、彼の策略を知らないわけではない。』
崔牧師メッセージ
「父なる神を見た人は、ひとりもいません。
父なる神は見ることができない方です。
それならば、旧約でアブラハムやヤコブが出会ったのは一体だれだったのでしょうか?
天使です。
神のしもべである天使が『エホバ』の名前によって、『神の民』の前にあらわれていました。
『イエス』の御名によってしか、『神の子』になることはできません。
旧約の信者は、『イエス』の御名を知らなかったので、決して神の子にはなれませんでした。
私たちは、御子イエス・キリストをとおしてしか、父なる神を知ることはできません。
父なる神と御子イエス・キリスト、また聖霊は三位一体です。
今、御子がおられるところは天の御国です。
ですから今は、父なる神の御霊である聖霊を送ってくださって、私たち信じる者の中で父をあらわして、働かれます。
罪のゆるしは、イエスの御名によって与えられます。
先に選ばれたイスラエルの民でしたが、旧約で預言されたイエス様にお目にかかることができないまま召されて、あとから信じた私たち異邦人が先にイエス様を信じて、罪がゆるされ、救われた者になりました。
私たちは何も知らなかったのに、ただただ恵みによって救われました。
イエス様が、『このように祈りなさい』と教えてくださった主の祈りのあとに、イエス様ご自身が大切なことをおっしゃっています。
『ゆるさない』という心の隙間に、悪魔が入り込みます。
そういう思いがあると顔も見たくないし、声も聞きたくないし、かかわりたくありません。
同じイエスの御名を信じ、罪がゆるされ、神の子とされたにもかかわらず、考え方や物事のやり方、価値観の違いでぶつかり合うことがあります。
教会の中で、家族の中で、職場の中で、友人知人隣人との関係の中でゆるせないことがあるから、私たちは悔い改めます。
ゆるすことがイエス様の愛の力です。
人を表面で見る、行いで判断するのではなく、深いところにある霊魂を見て、イエス様だったらどうされるかという思いで愛し、ゆるし合っていきましょう。
ゆるす時にイエス様からゆるされ、また相手からもゆるされ、受け入れられるように変えられていきます。
足りなくて、分かっていてもなかなかできない私たちがいますが、そのこともイエス様にゆだねて、『イエス様、私には何もできません。あなたが働いてください。愛せるように、ゆるせるように助けてください』と悔い改めて祈り、歩んでいく一週間となりますようにお祈りいたします。」
アーメン✨
メッセージ要約 Satoko.M
