2017年3月5日主日礼拝
聖書
ヨハネによる福音書第12章20~25節
ヨハネによる福音書第12章24節
『よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。
』
崔牧師メッセージ
「一粒の麦とはイエス様のことです。
言うならば、イエス様が死なれたから、私たちは生きた者になった。
イエス様がむちに打たれたから、私たちの病が癒された。
イエス様が貧しくなられたから、私たちは富む者となった。
イエス様がやりとくぎといばらのかんむりに刺されて、悩み、苦しみを背負われたから、私たちにまことの平安と喜びが与えられた。
このようなイエス様の功労を信じて頼ることが私たちの信仰ですが、時には死んだはずの自分自身があらわれる時があります。
信じる信仰によって私たちの中に、イエスの御名と御言と聖霊が与えられたのにもかかわらず、私たちは自分の力で何とかしようと、肩に力が入る時があります。
そのようになったら、イエス様が働けません。
講壇に立って司会をするのは、その人が偉いからではありません。
高ぶったら、語れません。
謙遜になり、一番低い者として、へりくだった心を持たないと、兄弟姉妹たちの前で語れません。
教会は聖霊が働かれるところです。
霊的な教会であればあるほど、高ぶったら働きができなくなります。
イエス様はむりやりに私たちの意志を乗り越えることはされませんから、私たちが自分を捨てて、イエス様に自分自身を明け渡す時に豊かに働いてくださいます。
イエス様ご自身がそのようなお方です。
御子イエス・キリストは父なる神のみまえで、本当は父と等しい方であるにもかかわらず、しもべの形である人間と変わらない姿になられて、死を味わうために肉体をもって、この地上につかわされました。
イエス様は、生きる権威も死ぬ権威もすべてお持ちですが、あえて父なる神に従われ、謙遜になられました。
イエス様が父なる神に従われたように、私たちが自分を捨てて、イエス様が豊かに働いてくださることを願い求める時に、豊かに実を結ばせていただけるようになります。
謙遜になり、自分を捨てて、イエス様に仕えることには、職分は関係ありません。
高ぶりを捨てて、謙遜になったら、イエス様からもっと愛され、豊かに実を結ばせていただけます。
イエス様は、時にはとても厳しい方ですが、あまりにもすばらしい方です。
私自身も足りませんけど、そのようなイエス様からもっと愛され、豊かに実を結ばせていただきたいから、できる限りもっとイエス様に近付けるように努めていきたいです。
皆さんも共に豊かに実を結ばせていただけるように、この一週間、今日のメッセージをおぼえて歩めるように、イエスの御名によってお祈りいたします。」
アーメン✨
メッセージ要約 Satoko.M

