2017年1月15日「あがめられますように」

2017年1月15日主日礼拝




聖書の箇所はマタイによる福音書第6章5~15節




マタイによる福音書第6章9,10節
『だから、あなたがたはこう祈りなさい、
天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。』



崔牧師メッセージ



「私たちの中で、イエスの御名があがめられなければいけません。


9節の御言、『あがめますように』ではなく、『あがめられますように』です。


受け身です。


イエス様は栄光を受けられる方、神の子によってあがめられる方です。


こうしなければいけないと肩に力を入れて、イエスの御名をあがめるのではなく、私たちの中におられる聖霊様に満たされて、中から喜びに満ちあふれて、イエスの御名をあがめます。


私たちひとりびとりの霊魂の中には、尊いイエスの御名があります。


また私たちの霊魂には御言があり、聖霊様がおられます。


皆さん、隣にいる方を見てください。


朝もあいさつしたと思いますが、ふたたび言葉を交わす前にメッセージがあります。


お互いの中には、私たちを救ってくださった方の尊い御名がありますから、言葉にできないくらい大切な存在です。


他人だと思うから、なかなか思いがそこまでしか働きません。


肉によっても、他人ではありません。


われわれ人間はアダムからはじまったので、今は各国、各民族に分けられていますが、さかのぼればひとつです。


だからイエス様が、『隣人を自分の体のように愛しなさい』とおっしゃられました。


皆さん、自分の子供を愛することは分かるでしょう?


イエスの御名によっての兄弟姉妹がどれくらい大切な存在なのかは、親の子に対する愛にたとえたら、分かりやすいです。


親になったことがない方は、分からないですか?


まったく分からないことはないでしょう。


『ああ、そうかな』と思ってみることはあるでしょう。


兄弟姉妹を互いにそのような思いで見れば、関心を持たないではいられないし、つまずくこともないでしょう。


『あの人の表情がけわしいから話したくない。近付きたくない。どうだこうだ』と、相手を見て避けることもないでしょう。


うちの長男がお父さんの言うことに、『はい、そうですね』と従ってくれたら葛藤もなく、心から楽しんでかかわれるでしょう。


でも、長男はなかなかそういうわけにはいかず、けっこう自分の思いが強くて、親の思うようにはいきません。


それでも親子は親子であるから、かかわりたくないとか、嫌いになるとかはありません。


何とか良くなるようにと、心から子供のために祈るでしょう。


兄弟姉妹を、自分の子供に対するような思いで愛して、足りないところは祈ってあげながら離れずにかかわっていく、そうする時にイエス様が働いてくださり、時間はかかっても、相手も分かってくれるようになるでしょう。


ちょっとかかわって、思うようにいかなかったら、あきらめてやめるから、イエス様のみこころが行われるところがなくなるのです。


私たちがやめたら、私たちの中で、イエスの御名があがめられることがなくなります。


聖霊様が働いてくださって、思いをくださって、私たちが御言に従う時に、私たちの中でイエスの御名があがめられます。


イエス様が私たちの中で喜んで、働かれるようになります。


私たちを罪から救ってくださり、永遠の命に至る道に導いてくださった方の御名をあがめ、ほめたたえることが私たちの信仰です。


自分の足りないことを見て、悔い改めることも大事ですが、悔い改めができる信仰をくださった方はイエス様です。


今朝、S姉妹に音楽室の扉のところで会って、私が『イエス様が信仰をくださって、恵みを与えてくださったことを喜んでいますか?』と、聞いてみました。


そうしたらS姉妹が、
『信仰をいただいて、足りないことがたくさん見えてくるから、申し訳なくなる時がありますし、感謝と同時に葛藤も多いです』と答えていました。


『足りない自分を見るんじゃなくて、そのような自分をもイエス様が救ってくださったことを感謝し、御名をあがめることが信仰ですよ』と、私が教えました。


さきほどM執事が司会をされましたが、その語られる言葉を聞きながらも、M執事の信仰が見えてきます。


イエスの御名は目には見えませんが、信仰者をとおして、周囲の人々がイエス様がどういう方であるのかを、聞くことができます。


語る人をとおして、聞く人の中でもイエスの御名があがめられる機会が与えられます。


ですが、われわれは自分の肉の思いによって、イエスの御名があがめられる機会をいかにたくさん妨害しているのか、分かりません。


思い起こせば、悔い改めないといけないことは山ほどあります。


今まで、この『主の祈り』の箇所をさらっと読み流すことも多かったですが、あらためて思えば、イエス様が教えてくださった祈りはとても深いです。


私たちひとりびとりの霊魂の中で、イエスの御名があがめられるように、みこころが行われるように、いつも聖霊に満たされて、わき上がる泉から水があふれ出るように、イエス様の栄光が中からあらわれる者になるように、これから求めて歩んでいきましょう✨」



アーメン✨

メッセージ要約 Satoko.M