2017年1月1日「イエスの御名」

2017年1月1日主日礼拝



聖書      ヨハネによる福音書第17章1~26節




ヨハネによる福音書第17章1~5節
『父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい。あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました。父よ、世がつくられる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせてください』




牧師メッセージ




「皆さん、新年あけましておめでとうございます(笑)

2017年になりましたが、新しい一年をイエス様がくださったこと、感謝ですね。


今朝は目が覚めてから、新しい一年が与えられたことの感謝の祈りと、願うこと思うことを、たくさん祈りました。



また、聖書の御言はどこもすべて大事ですが、私は、このヨハネによる福音書第17章が、聖書全体の中でも最も大事な箇所かなと思います。



皆さんの中には、普段あまり聖書をじっくりと読まれない方もおられるかもしれませんから、今日はこの一番大事な箇所を一緒に読みたいと思います。



去年2016年は、どのような一年だったでしょうか?



感謝と喜びに満ちあふれた一年だったのか、どちらかといえば、不平不満が出たり、つぶやくことが多かったのか、信仰の中にあってもいろいろあったでしょう。



ですが、私たちはそのように弱い者ではあっても、永遠前から父とともにおられた方、万王の王であるイエス様は栄光に満ちあふれた方です。



信仰をいただいて、父なる神と御子イエス・キリストとを知った私たちには、永遠の命にあずかる望みが与えられています。



父なる神から呼び寄せられなければ、イエス様のみもとにくることはできませんでした。



信じる者には、永遠前からおられる父の御名であり、また父が御子に賜わった御名である、『イエスの御名』が与えられました。



私たちは足りない者ですが、イエスの御名によって父なる神と御子とひとつであり、信仰の中で守られています。



イエスの御名の中に栄光があり、命があり、神の愛があります。



人間は変わることはあっても、イエス様は変わられることがありません。



昨日大みそかの夜は、家族で去年最後の礼拝を捧げました。



その中で、反省会みたいなこともしました。



私自身、家族の中で、相手に期待することがまだまだあって、思ったようにならなかったら、感情的になって、言葉が強くなったり、声が大きくなったりすることがあります。



また、たとえばですが、
子供があまり聖書を読まない、祈りもしない、約束したことを守らなかったという時に、その子に何か良くないことが起こったとしたら、『ほらね』というような汚い思いが、口には出さなかったとしても、心の中にわいてきたりと、まだまだそういう自分の良くない判断とか、思いを捨てきれないところもあります。



私自身をはじめとして、われわれは足りませんが、栄光に満ちあふれていて、すべてのものを私たちの中に満たしてくださるイエス様のみもとに導かれていますから、2017年はイエス様から限りなく、祝福と恵みと平安と喜び、更には、知恵も知識も力も、天にあるものも地にあるものも地下にあるものも豊かにいただける一年となるように、お祈りいたしましょう✨」

アーメン✨