2016年12月25日の主日礼拝
聖書は、ヨハネの第一の手紙第4章1~21節の箇所のメッセージを聞きました。
ヨハネの第一の手紙第4章9~11節
『神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにしてくださった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛してくださって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛してくださったのであるから、わたしたちも互いに愛し合うべきである』
19~21節
『わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからである。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている』
牧師メッセージ
「今日はクリスマスです。
父なる神が御子イエス・キリストをふところからつかわしてくださって、からだを持って、この地に来てくださったことを感謝し、祝う日であります。
このように私たちは、父なる神から愛されたことが分かるから、神の愛によって、自分のまわりにいる人々を愛することができます。
もちろん、われわれには足りないところがたくさんあります。
柔和であることも、なかなか難しいです。
昨日もあることで息子に、『何でそんなことも気付かないのか?』という思いから、大きな声で言ってしまったことがありました。
そうしたら息子もまた、『何で?』というふうに、納得がいかないようでした。
『お父さんに話す時は、もっと柔和に話しなさい』と私が息子に言ったら、息子から、
『お父さんも柔和じゃないのに、ぼくにだけ柔和になりなさいと、おっしゃるんですか?』と言われて、
私は、
『お父さんが柔和でなくても、あなたは柔和になりなさい』と、言ってしまいました(笑)
このように、なかなか自分の目にある梁は分からないものです。
私たちは罪深い者ですが、イエス様によって罪がゆるされ、愛されたことが分かるから、愛することは難しくありません。
高ぶっていると、このことが見えません。
水は高いところから低いところに流れるという話を、前にしました。
海は、すべての流れる水が最後にたどり着くところです。
海には、あらゆる生き物が住んでいます。
このように、低い、へりくだったところには、すべてのものが近寄ってきます。
人も、へりくだった柔和な人には近寄りやすいです。
イエス様は、高いところからこの低い地にくだってこられました。
すべてもっておられ、欠けるところのない、罪のない方が、罪深い人間が住む地にくだってこられました。
そのことがなければ、私たちには望みもなく、罪に縛られたままでした。
私たちは神から受けた愛が分かるなら、人々を愛するべきです。
神の愛は、この地では、親の子に対する愛を見れば分かりやすいです。
私は子供の時に母から、『あなたは、寒い雪の日に橋の下から拾ってきた子だよ』と言われたことがあって、それをそのまま信じて、涙を流しながら出ていこうとしたことがありました(笑)
そうしたら、『冗談で言ったのに』と、母から笑われました。
そんなこともありましたが、私は父と母から愛されていたことがよく分かりました。
親の愛は、神が神の子を愛してくださる愛と同じです。
聖書には、『親を敬いなさい』という戒めはあっても、『子供を愛しなさい』という戒めはありません。
当たり前だからです。
でも、子供には親の愛がなかなか分からないから、少し親が強く言ったり、厳しくしたら、反発したり、怒ったりします。
それで、戒めが与えられました。
神は、ご自分の御子をさえ、私たちの罪のために差し出してくださいました。
私たちは、聖書をとおして神の愛を知りました。
このように、人間の親も、自分の命を削ってでも子供を育てようとします。
人間の親は、先ほど息子とのやりとりの話をしましたように、足りないところもありますが、それでも普通の親なら子供を愛するのは当たり前です。
前に、自分の子供をビニール袋に入れて捨てた母親がいて、ニュースになったことがありましたが、その親は完全に霊的に縛られて、おかしかったのでしょう。
人としては、できないことです。
親の親をずっとさかのぼれば、イエス様にたどり着きます。
イエス様がからだを持って、この地にお生まれになった時からが、西暦の始まりです。
今から約2000年前です。
1代を30年とすれば、2000年前は約70代さかのぼることになります。
私たちには、せいぜい3代前くらいしか分からないから、遠いみたいですが遠くありません。
TくんとAちゃんに、
『お父さん、お母さんから愛されていることが分かりますか?』と尋ねました。
うなずいてはいましたが、本当の親の愛は、自分が親にならないと分からないかもしれません。
でも、親になっていない方も聖書が与えられ、イエス様のことが分かったのであれば、神の愛を知ったのです。
皆さん、聖書を読んだら、神の愛について、イエス様がなされたことについてよく分かります。
聖書を読んでください。
神の愛を受けた者として、神の愛をまだ知らない家族、親戚、友人、知人、隣人に神の愛を分け与えていきましょう。
愛は自分からです。
『家族が、だれだれが私を愛してくれない、冷たい』と言うのではなく、私が愛してあげたらいいんです。
愛は、相手に期待することではありません。
高ぶったら相手のちりばかり見えてしまい、愛するどころではなくなります。
柔和で心のへりくだった者になって、イエス様から受けた恵みの中にとどまって、人々の霊魂を愛し、この地の人々に恵みを分け与えていく今日のクリスマス、またこれからの歩みとなりますように✨」
アーメン
要約 Satoko.M