2016年12月18日「柔和な心で」


2016年12月18日主日礼拝


聖書は、テモテへの第二の手紙第2章1~26節、マタイによる福音書第11章25~30節



◎テモテへの第二の手紙第2章24~26節
『主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔い改めの心を与えて、真理を知らせ、一度は悪魔に捕らえられてその欲するままになっていても、目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう』


この箇所は、パウロ先生が弟子であるテモテに宛てられた手紙の中の一部です。


『わたしに習う者になってほしい』という思いで、パウロ先生はテモテにこの手紙を書かれました。


◎マタイによる福音書第11章28~30節
『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである』


牧師メッセージ


「イエス様は、父のみまえでいつも謙遜であられました。


思えば、イエス様はお生まれになられた時から、もっともへりくだっておられました。


来週はクリスマス礼拝ですが、父なる神の御子がからだを持って、お生まれになられたことを喜び祝います。


ダビデの子孫であり、王の王である方が、王様の宮殿でもなく、馬小屋でお生まれになりました。


宮殿の王女の胎ではなく、ヨセフの婚約者のマリヤの胎を借りて、生まれてこられました。


また、生まれる時も、今みたいな助産婦がいる産婦人科もなくて、まともな部屋もなくて、馬小屋でお生まれになりました。


すべて持っておられ、富んでおられた方が、父のみこころに従って、父のふところからしもべの形をとって、地上に来られました。


そのようなことは、自分の肩に力を入れていたら、できることではありません。


罪のない方が、しもべの形である人間の姿で来られて、いばらとむちに打たれて、最後は十字架につけられて、水と血を全部流されて罪人のように死なれたことは、イエス様が父のみまえで謙遜であられたから、できたことです。


十字架刑は当時、この世の中でもどうしようもないくらいの罪人が受けた、もっとも残酷な刑罰です。


父のみまえで謙遜であることが、イエス様の柔和です。


私は思います。


果たして私は柔和な者なのかな、と。


心のへりくだった者だと言えるのかな、と。


重荷を負うている人が私のそばにきた時に、私はその人に休みを与えることができているのかな、と。


逆に、つまずきを与えることはないのかな、と。


荷が軽くなるどころか、重くなって離れていってしまうようなことはないのかな、と。


争うまではしなくても、相手を見て判断したり、カーッとなったりしたことはいくらでもありました。


私は人から見て、ニコニコ笑顔でいる時は柔和な人に見えるかもしれません。


私の笑顔はなかなかいいでしょう、皆さん(笑)

ですが、見た目はそうでも中はそうでもありません。


裏では、けっこう厳しい視点で人を見ている時も多々あります。


『"だれに対しても" 親切であって』というのも、簡単ではありません。


自分を裏切ろう、離れていこうとしている人に対して、私は強く言ったことがありました。
 

そのことである兄弟に、
『私はあの時、あなたに対して、親切に柔和に教え導くことができませんでした』と、話しました。


また、運転の初心者の息子が何も考えなくて運転しているように見えた時は、
『何してるか、危ない!』と叱ったこともありました。


そんな時でも、私が柔和だったら、
『こうしたら危ないよ。もっと、こうしたらいいんじゃないか』と教えることもできたでしょう。


そうする時に相手も、
『そうですね』と反省して、悔い改めの心が与えられたでしょう。


でも、私の方が怒ってしまうと、相手も悔い改めの心を与えられる間がありません。


もちろん、相手ももっとへりくだっていたならば、私が強く言ったとしても、静かに受け入れたでしょう。


でも、それは相手の問題です。


私が強く言ったら、息子もまだ柔和になっていませんので、同じように言い合いになってしまいます。
 

私が柔和に教え導くことによって、相手に悔い改めの心を起こさせることができたでしょう。


どうですか皆さん、
『私は柔和で心のへりくだった者だ』といえますか?


このように、『だれに対しても親切であって、よく教え、忍び、反対する者を柔和な心で教え導くこと』は、簡単ではありません。


ですが、このクリスマスの前、父のみこころどおりにイエス様がなされたことをおぼえて、そのことによって、われわれが今ここにこうして導かれていることに感謝して、できる限り、それぞれに与えられた人間関係、環境の中で、柔和に謙遜に歩んでいく一週間となりますように✨」


アーメン


要約 Satoko.M