2016年11月13日「自分を捨てる」



2016年11月13日主日礼拝


11月13日の主日礼拝は、マルコによる福音書第8章27~38節、10章42~45節の箇所のメッセージを聞きました。


マルコによる福音書第34節
『だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい』

イエス様が、弟子たちと一緒に群衆を呼び寄せて、おっしゃられた御言です。


崔牧師メッセージ


「私たちは、果たして主のみまえで、自分を捨てているでしょうか?  

カーッとなったり、思い上がるのは、どこか自分を捨てていないからです。

私たちの霊魂には、一点のくもりもあってはいけません。

自分を捨てていないところが、私たちの霊魂の中にあるくもりです。

もちろん悪魔からの妨害もありますが、ある意味で、自分自身が自分を一番妨害します。

自分の中のくもりが、自分自身を邪魔します。

イエス様がせっかく御言をくださっても、自分を捨てていないとなかなか従順ができません。

イエス様は、最後に弟子たちの足を洗われた後に、何とおっしゃられたでしょうか?

『あなたがたは互いに愛し合いなさい』です。

『愛されるようにし合いなさい』ではありません。

私たちはどうしても、自分を愛してくれる人ばかり愛します。

ですが、自分を愛してくれる人を愛することは、異邦人でもできます。


たとえば、たとえばですが、ある人が私をとても嫌っているとします。

でもイエス様が、この人に仕えなさいとおっしゃられました。

自分の思いとしては、苦しいです。

愛したくない、仕えたくないです。

でもイエス様は、愛しなさい、仕えなさいとおっしゃられる…

『イエス様! すぐにはできません。少し待ってください。でも必ず従順しますから』と、申し上げるでしょう。

このように、自分を嫌っていると分かっている人に仕えることは、簡単ではありません。

でも、イエス様についていきたいなら、御言に従順しなければいけません。

ですから、日々自分を捨てる訓練が大切です。

昨日私は、水を飲もうとキッチンの浄水器から水を出して、コップに入れて飲みました。

その時に、一度目はあまり炊事場を見なかったのですが、二度目に水を汲もうとした時に、炊事場に洗い物が残っているのに気付きました。

いつもの私ならば、炊事場にものがあると、きれいにしないと気が済まないから洗うのですが、その時はなぜか、そのままにしていました。

あとでそれを見ていた妻から、
『いつもなら炊事場をきれいにしないと気が済まないのに、今回は見ても洗わなかったんですね』と言われて、
『そうですね』と答えました。

確かにそのとおりでしたからそのように答えたのですが、その時にもし私の思いが強く出ていたら、
『何で私が洗わないといけないんですか』と言って、ケンカしかありませんでした。

何気ない日常のこと、だれにでもあることじゃないかと思われるかもしれませんが、用いられる人は、そのような細かい部分までが違います。

教会の中で、家族の中で、また隣り人に対して、お互いに、主のみまえで自分を捨てて相手に仕える人に、イエス様から慰めが与えられ、高くされるようになります。

世の中の偉い人たちは権力をふるいますが、クリスチャンの中ではそれではいけません。

偉くなりたいなら、仕える人になる。

今の世の中、あちこち見渡しても、なかなか愛することが難しいです。

アメリカのトランプ大統領、韓国の朴 槿恵大統領
、クリスチャンなら祈るのでしょうが、世では悪口ばかりです。

相手が自分を迫害する者であっても祝福しなさいと、イエス様がおっしゃいます。

迫害する者とまではいかなくても、何か足りないことが見えたら、すぐにさばこう、判断しようとします。

私は二人の大統領のためにも祝福して、祈ります。

ドナルド・トランプ兄弟、朴 槿恵姉妹、また日本の総理、安倍兄弟です。

人のことを、
『何で、あの人は!』と思うくらいならば、自分が変わる方が早いです。

私たちはどうしてもまず相手を変えようとしますが、相手のちりを取りのけるには、自分の梁を取りのけるべきです。

そうすることによって相手も変わるというか、イエス様がその人の中に働いてくださって、変えさせてくださるでしょう。

信仰によって主人に仕える、奥さんに仕える、また親子でも、親に仕える、また子供に仕える……

信仰によらなければ、仕えることは簡単ではありません。

確かに皆さん、簡単なことではありませんが、相手のためではなく、自分自身のためです。

相手から良くない言葉を聞いた時に、
『そうです。あなたの言うとおりです』と言って、自分を捨てる時に、主からの慰めが大きいです。

信仰は、自分とイエス様との関係です。

自分を捨てることによって、自分の中のくもりがなくなります。

『自分自身を妨害する''くもり''と戦って、イエス様としっかりつながって、自分を捨てて、たましいを愛し、仕えていく者となることを願って歩む一週間となりますように』とイエスの御名を一回呼んで、一緒にお祈りいたしましょう!!」

アーメン


まとめ Satoko.M