2016年10月23日主日礼拝

聖書 エペソ人への手紙第1章1節〜14節



牧師メッセージ



「 何のためにイエスキリストが来られ、私達にどういう恵みをくださったか。


そして、受けた私達は溶けて、形をなくすとのどに通る、一粒の麦の種が死ぬも実を結ぶ、と先週の主日礼拝でお話ししました。


聖書は2000年前と同じことを言っています。


ヘブライ語で書かれたイエス様の御心そのままです。


それなのに毎週違うメッセージがある。


霊の働きは素晴らしいです。


時間と空間を超えて、イエス様の働きは素晴らしい。


世の中の教えは、時代、人が変わると教えも変わります。


これは、パウロがエペソの教会の人々に何を言おうとしているのか。


そして、パウロという弟子を通して、今、私達に伝えてくださったメッセージなんです。


『わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。』
‭‭エペソ人への手紙‬ ‭1:11
http://bible.com/81/eph.1.11


『この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。』
‭‭エペソ人への手紙‬ ‭1:14‬ ‭JA1955‬‬
http://bible.com/81/eph.1.14.ja1955



聖霊を通して、私達がとういう身分か。


神の民として、とあります。


クリスチャンとして、私達がやること。


『ほむべきかな』


ほめたたえるべき方です。


イエス様が父から遣わされ、十字架につけられました。


種は死なないと実らない。


死ぬと大きな実を結びます。


一粒の種が地に落ちて、死んでくださったことで、私達を救ってくださった。


血の代価をイエス様が代わりに払ってくださった事によって、私達の全ての罪が赦された。


これは大きな恵みです。


恵みとはどういうものでしょうか。


恵みは受けた者しかわかりません。


イエス様はこの世に体を持って来られ、十字架につけられ、血と水を流してくださり、死んでくださった。


そこに父なる神のみ旨、御心があります。


11節に『み旨の欲するままにすべての事をなさる方の目的の下に』とあります。


目的の下に私達を救ってくださった。どんなに大きい恵みでしょうか。


その恵みが深く分かる時に自分が何かしたいと深く働くのです。


私達がするべき事はほめたたえること。


救われたひとができることは、もちろん福音伝道もありますが、


イエス様をほめたたえることです。


人に「ハレルヤ!」と言うと、「どういう意味ですか?」と聞かれます。


関心を持って聞いてくれる人がいます。


今、救われた私達がする事は、『ほむべきかな』


イエス様をほめたたえることが教会の本来の目的です。


だから集まったら讃美を捧げる。


『ハレルヤ!ハレルヤ!」


人の事を気にせずに、両手を挙げてほめたたえる人は救われた人です。


12節『神の栄光をほめたたえるに至るためである。』


私達が信仰をあらわす方法は色々あります。


福音伝道とは、受けた恵みをあらわすこと。


パウロが教会にくださる教えは『ほめたたえる』ことです。


ほめたたえることは信仰をあらわすこと。


イエス様の御名をほめたたえる1週間にしましょう。



その時、聖霊様が喜んでくださるのがわかります。


パウロがなぜ何度も言うのか。


パウロを通して教会にくださった教えです。

どんなに大切でしょうか。


今日の聖書にも何度も書いてあります。


家に1人でいても讃美してください。


家でも外でも父をあがめる、ほめたたえる。


救われた人々がやるべきことは讃美です。」



アーメンキラキラキラキラキラキラ